旧・浜名湖競艇場(静岡県)
1953(昭28)年〜1968(昭43)年

当時、近海漁業の不振のため舞阪町は貧困の過程を辿っていた
他の産業にも見るべきものも無く、町首脳陣はこの打開策に日夜腐心を重ねていた

そんな矢先、今国会(第十国会)に提出されたモーターボート競走法案が通過するという情報を入手
当時、町長代理の渡辺八平助役は
モーターボート事業の詳細内容を知る由もないが
立地条件に伴った事業を行うことは有利であり、将来性も期待出来るので
モーターボート競走場設置申請書だけは提出すべきであると
町議会承認後、申請書を静岡県事業課へ提出した

県内では温泉都市の熱海でも申請を上げていたが
通常風波が高いこと、水深が極度にあることがレース運営に危険であるとの理由で
熱海競艇場は実現不可能になった

偶然の一致ともいうべきか
新居町(現:
浜名湖競艇場の場)においてもモーターボートの設置を計画していた

新居町は競走場建設予定地を浜名養漁場跡地(現:新居警察署及び河合楽器製作所工場)位置に設定
先に申請を上げた舞阪町は弁天島乙女園(旧レース場)に設定し
両町とも競走場設置の具体化を進めていた

「このような大事業を隣接した町村が別々に申請するのはあまり好ましくない」
静岡県振興課より両町よく話し合い共同事業として申請することが妥当であると判断された

1952(昭27)年7月29日:新居町は町議会の万場一致の賛成を得、舞阪町へ競艇事業の共同経営を申入れた

1952(昭27)年8月2日:新居町関所跡広間にて両町長及び両町議会議員が会同し
浜名湖モーターボート競走会設立準備委員会が結成された

このように計画は進んだが、地方財政委員会へ施行者指定認可申請書を提出の際
「競走を施行しようとする市町村は施設その他の資本金として最低三千萬円はかかる」
「資本金の支出方法及び事業不振の場合、何れにしても人口三万人以上を有する市町村でなければその処理法を合理化することが困難」
「他市町村の加入を考慮しても差支えないから、人口三万人以上を確保して貰いたい」
といわれ
人口問題で大きな難関にぶつかった


当時の人口は舞阪町 9,024人、新居町 12,795人
 そこで、競艇場建設予定地を中心とした隣接町村に共同経営を申し入れることになった
そして
雄踏町の正式加入の承認と相俟って三ヵ町による
浜名湖モーターボート競走場の設立準備は整った

1953(昭28)年3月27日:競艇場設立に努力を続けてきた
浜名湖モーターボート競走会準備委員会は発展的に解散
以後は地方自治法に準拠した
浜名湖競艇組合浜名湖競艇企業団の前身)によって運営されることとなる


1953(昭28)年8月7日:
浜名湖競艇組合施行にて浜名湖競走場(舞阪町乙女園)で初開催される
まだ至る所で大工の槌音がして居る状態で定刻九時
観客で埋まった南側スタンド(土盛スタンド)前で静かに奏でる君が代と共に日章旗が高々とメィンポールに掲揚され
ここに
浜名湖競艇場は誕生したのである

幸い第9レースまでは事故もなくレースを進めることが出来たが
突如として天候急変し雷鳴と共に篠つくような雨が襲いかかり
観客は右往左往に逃げ惑ううち再び起る雷鳴は遂にレース場東側岸壁に落雷
雨はますます猛威を振うという有様でレース継続は不可能となり
開場初日は第9レースで中止の止むなきに至った
開場第一日
売上金額: 1,558,700円、入場人員 4,000名

その後は順調な歩みを続けたかに見えたが

1953(昭28)年9月25日:突如として襲った台風13号のため建設したレース場は無残に壊滅
一日も早く復興しようとする女子職員にいたるまでの従業員の再建整備作業の努力の甲斐あり
わずか一節を休んだのみでレースは再開できた
しかし
台風のため資金計画がまったく狂い繰回し出来ない状態まで至った

金策つかぬまま上京し
連合会会長笹川良一氏に願い
「ある時払いの催促なし」という有難い計らいをいただき、九死に一生を得て帰浜した

その後は売上も順次上昇の一途を辿り

1955(昭30)年度には売上一億突破の
浜名湖競艇新記録をつくった

同年8月:隣県(愛知県蒲郡市)に
蒲郡競艇場が新設される
1956(昭31)年5月:多数の競艇ファンを擁する
浜松市にオートレース場が新設される
1959(昭34)年11月14日:場内の競走会の食堂から出火
1963(昭38)年4月1日:異常干潮により続行不可能な水面状態の為レース中断
この事態に対し4月20日:
施設改善調査委員会の調査を受け
「規定の水深 1.5mを必ず保つように早急に作業をする事」
そして
「これが実行出来ぬ時は、場合によりレース中止の命令を出す事態になるやも知れぬ」
との強い勧告をうける

雄踏町長中村繁氏、新居町長守田雪雄氏、舞阪町長渡辺八平氏はレース場移転について
是か非かを検討の上
早急に
競艇組合議会に計ることとし九月上旬の競艇組合議会全員協議会において
レース場移転を全員賛成の下に決定、作業の推進を図るため議会議員九名をもって建設委員会を組織した

1964(昭39)12月15日:
浜名湖競艇組合議会において新レース場建設地は新居町中之郷東海養魚場東側に
満場一致で決定し、本格的作業に入ることとなった



<昭和42年・浜名湖競艇組合主催・連勝単式勝舟投票券>


1968(昭43)年3月19日:弁天島旧浜名湖競走場にて最終レースがとり行われた
最終12レースが終了し中央スタンド前において
弁天島レース場の閉場式を挙行したが
君が代の演奏のうちに旧レース場最後の国旗降下が行なわれ蛍の光のメロディーが流れると
期せずしてスタンドから拍手がわいた




静岡県浜松市舞阪町弁天島乙女園